中国大連で日本語を教えています。日本語を教えながら感じたこと、気づいたことなどを記します。


by nihongobaka
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引越し

わたしが今働いている学校が以前使っていたところが賃貸契約が切れたとかで、移転しました。9月の新学期から、こちらで授業をします。

前のところはバス停から歩いて15分くらいで、あまり便利とは言えないところでしたが、わたしが住んでいるところから学校のバスで15分と通勤にとても便利でした。

しかし、今回のところは空港から西方向にあり、畑が広がる「ど田舎」です。高層マンションなどはまったくなく、小さい家や店が並んでいます。大連中心のにぎわいからは想像できないくらいのどかなところで、それでも同じ「大連市」なのだから、驚きます。

通勤にかかる時間も、路面電車(orバス)と学校のバスで、1時間以上です。もし、全線バス(一回乗り換え)で行くと、1時間半ぐらいかかると思います。今まで8時過ぎに家を出ればよかったのが、これからは7時過ぎに出なければなりません。

こんな田舎に学校を作って、これから学生が集まるのか心配です。いくら全寮制で通学に関しては心配しなくてもいいとはいえ、こんな何もないところに住みたがる学生がいるのでしょうか。わたしがいる学校は留学するために勉強するところなので、普通の日本語学校とは違いますが、留学のための学校はほかにもたくさんあります。費用も内容も大差ないなら、少しでも立地条件のいいところを選ぶと思うのですが・・・
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# by nihongobaka | 2007-08-31 10:26 | ことば以外の話題

表音文字のない言語

文字には音のみを表し、それ自体では意味のない「表音文字」と、それ自体で意味を表す「表意文字」がある。「表意文字」の代表的なものは「漢字」である。中国、韓国、日本は漢字使用国であるが、韓国、日本は同時に「ハングル」や「かな」のような表音文字も使用している。この中で表音文字を持たないのは中国だけで、表意文字しかない言語というのは世界的に見ても、とても珍しいのではないだろうか。

中国語にも「ピンイン」という発音を表記する手段があるが、「ピンイン」はアルファベットである。日本語なら「ローマ字」で書くようなものだ。自国の文字の音を表すのに、外国からの借り物の文字を使わなければならないとはどういうことか。中国で「ピンイン」使用が始まったのはそれほど前のことではないようだが、なぜ、そのときに、韓国で「ハングル」が発明されたように、音だけを表す中国独自の文字を作らなかったのだろうか。

「ピンイン」は発音を表すための記号であり、文字ではない。日本語は漢字とかなを混ぜて書くが、中国語では漢字とピンインを混ぜて書くということは普通しない。つまり、音だけがわかっても漢字がわからなければ書けないということになる。
外来語を表記する場合はもっと大変で、原音に近い音の漢字を用いて表記するにしても、漢字には意味があるため、変な意味にならないよう配慮する必要がある※1。さらに、中国語は声調があるので、近い音の漢字を並べてみても、原音とは相当かけ離れたものになってしまう。日本語のカタカナ表記にしても原音からかけ離れたものには違いないが、中国語のそれに比べればまだわかりやすいと思う。

上記のことから、中国語では外来語をそのまま取り入れることは少なく、ほとんどの場合、中国語に訳してある。日本語のように、日本語に変換する努力をすることなく何でもカタカナで表記するのもどうかと思うが、中国語のように、「スパイダーマン」「バットマン」「スーパーマン」※2のような個人名(それぞれ中国語で「蜘蛛侠」「蝙蝠侠」「超人」)や「ニュージーランド」のような国名(「ニュー」を「新」と表記)まで訳してしまうのもどうかと思う。

表音文字がないのは不便極まりないと思うが、中国人はどう思っているのだろうか。


※1いつも不思議に思うのは西洋人の名前で、マイケル、エドワード、スミスなどありふれたものは決まった漢字表記があるので問題ないと思うが、初めて聞く西洋人の名前の漢字表記はだれがどのようにして決めるのだろうか。日本語なら、聞こえたとおりにカタカナで書けばいいのだが。

※2これらを日本語に訳すと「くも男」「こうもり男」「超人」となり、前者2つは仮面ライダーの怪人、後者は普通名詞になってしまう。
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# by nihongobaka | 2007-05-15 14:29 | 言語

「多い+名詞」再考

以前書いた記事の答えがようやく見つかったので、書いてみようと思う。

「公園に大きい木があります」はいいが、
「公園に多い木があります」はなぜだめか、というものだが、

まず、「大きい」と「多い」はどちらも「い形容詞」ではあるが、性質が異なっている。
「大きい」は修飾されるもの自体の属性やそれに対する話者の印象を表すのに対し、「多い」は数量を表す。これは疑問詞の「どう」や「どんな」を使った質問の答えに「多い」は単独で用いられないことからもわかる。

「あの公園はどうでしたか」(公園に対する印象を聞いている)
「大きかったです」(○)
「多かったです」(×)(「木が多かったです」は○)

「あの公園はどんな公園ですか」(公園の属性を聞いている)
「大きい公園です」(○)
「多い公園です」(×)(「木が多い公園です」は○)

このように同じ形容詞であっても性質が違うため、使い方も異なることになる。

さらに、日本語では数量を表す語は動詞の前に置くのが普通だ。

「りんごを3つ食べました」
「切符が2枚あります」

日本語では数量を表す語は副詞的で、名詞ではなく、動詞を修飾する。

上記の文を
「3つりんごを食べました」
「2枚切符があります」
とするのも可能だが、この場合でも「3つ」「2人」はやはり動詞を修飾している。

名詞を修飾するためには
「3つのりんごを食べました」
「2枚の切符があります」
としなければならないが、自然な日本語とは言い難い。

数量を表す語が名詞を修飾するのは日本語として不自然なので、「多い+名詞」は不自然な日本語となる。「多い」を副詞形にして、
「公園に木が多くあります」
とするのは可能だが、「多い」ことを表す副詞「たくさん」があるため、一般的な会話では、
「公園に木がたくさんあります」
という文が用いられる。

以上のことをまとめると、
1.「多い」は数量を表す形容詞である。
2.日本語では数量を表す語は(形容詞であっても)名詞を修飾しない。
3.よって、「多い+名詞」は成立しない。

こんな簡単なことに気がつくのにずいぶん時間がかかってしまった。
日本語教師としてまだまだ未熟だと思う。
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# by nihongobaka | 2007-04-22 23:55 | ことば

2007年度春季コース開始

昨日から春季コースが始まった。秋のコースは人数が多く2クラスあったのだが、春は大幅に減り、新しい学生が6人、前回ビザが取れずに居残っている学生が3人で9人になった。また、1クラスに逆戻りだ。

昨日と今日でひらがなとかたかな、そして特殊拍を教えたが、すでに「速い」と文句を言う学生がいる。「かな」の読み書きだけで、2日間、8時間を費やしている。「多すぎて覚えられない」と言うが、それなら、覚えられるまで何度でも練習すればいいのだ。実際、大半の学生は導入の翌日にはほとんど読めるようになっている。

400時間で「みんなの日本語1・2」(全50課)を終えるというスケジュールは結構きつい。単純に50で割ると、1課あたり8時間だが、「かな」だけですでに8時間も使ってしまった。ほかにテストなど、教科書以外に取られる時間があり、実際のスケジュールはもっとタイトになる。つまり、彼らは毎日、膨大な量の単語や文型を覚えなければならない。その日に習ったことはその日のうちに覚えてしまわなければ、どんどん取り残されていってしまう。

彼らには毎日宿題を出しているが、宿題しかしない学生がいる。宿題はその日にやったことのまとめのようなもので、「覚える」という作業はそれとは別に、自分自信で必死にやらなければ、できるはずがない。「かな」ごときで音をあげているような学生は、おそらく日本語の習得は無理だろう。
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# by nihongobaka | 2007-03-20 18:26 | 学生たち
「始める」「始まる」という動詞は(時)を表す語は助詞に「に」を取るのが普通だ。

・3時会議を始めます。
・コンサートは6時始まります。(A)

では、次の文はどうだろうか。

・3時から会議を始めます。
・コンサートは6時から始まります。(B)

実際の会話では、これらも使われていると思うが、文法的には正しいのだろうか。

「から」は動作の起点を表すので、「始まる」という意味を含んでおり、上記(A)(B)の文を「コンサートは6時からです」ということもできる。
つまり、(B)の文は「始まる」という意味が重複することになる。
「に」は動作をする/動作が起きる点を表すので、「始まるという動作が6時に起きる」という意味で、(A)の文は問題がない。

さらに、「始める」「始まる」は瞬間動詞なので、通常は「に」を取るはずである。動作開始から完了までに時間の幅がある動詞にしか「から」は使えない。

もし、(B)の文が文法的に正しいのなら、この文と反対の意味の以下の文も成立するはずである。

・コンサートは9時まで終わります。(※)

だが、この文を正しいと言う人はいないだろう。

以上のことから、「(時)から始める/始まる」は文法的に正しくないはずなのだが、初級の教科書にこの表現が出ていた。
文法的には間違いだが、慣用的に認められているということなのだろうか。

※正しくは
「コンサートは9時に終わります」か 「コンサートは9時までに終わります」
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# by nihongobaka | 2006-12-07 17:49 | ことば

応用が利かない動詞

普段使っている言葉の中には本来の意味を意識せずに使っているものがある。

1.「風邪をひく」
この「ひく」はどういう意味だろうか。
辞書(エキサイト大辞林)を見てみると、「自分の体の中に入れる」こととある。
つまりは「風邪」というものを体の中に入れることらしいが、この「ひく」という動詞はほかの病気には使えない。ほかの病気の場合は「かかる」を使う。
「風邪にかかる」と言うこともできるのだから、「肺炎をひく」「エイズをひく」などと言えてもよさそうなものだが、できない。
「体の中に入れる」という意味なら、他のものを入れる意味にも使えそうだが、「ごはんをひく」「薬をひく」などとも言わない。
つまり、この意味での「ひく」は「風邪」にしか使えない。

2.「傘をさす」
この「さす」は何だろう?
同辞書によると、「頭をおおうように傘を持つ」ことだそうだ。ということは、この「さす」という動詞はもともと傘のために存在しているのか。「さす」には非常に多くの意味があるのだが、もう少し見てみると、「両手で物を高く上にあげる」とある。どうやら、「さす」にはもともとこういう意味があり、そこから、傘に用いられるようになったようだ。
この意味の「さす」も「傘」以外の名詞には使えない。

上記にあげたものはひとつの動詞に対してひとつの名詞しか対応していない例だが、こういう例はほかにもきっとあるだろう。こういう動詞は日本語を教える側にとっても習う側にとってもやっかいだ。せっかく、「ひく」「さす」という動詞を覚えても、それぞれ、「風邪をひく」「傘をさす」しか言えない。本来なら、ひとつの動詞を覚えたら、名詞を入れ替えて色々な表現ができるはずである。なんとも「無駄」というか「ぜいたく」というか、不思議な動詞である。
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# by nihongobaka | 2006-11-29 18:23 | ことば

「どうな」「ほんが」

特殊拍と呼ばれる三つの音、長音(伸ばす音)、撥音(「ん」)、促音(小さい「つ」)は外国人にとって、聞き分けがとても難しい。わたしの学生は特に長音と撥音をよく聞きまちがえる。発音を聞いただけでは正しく発音しているように聞こえるのだが、書かせてみると、正しく理解していないことがよくわかる。

中でも、最近気になったのは次の二つだ。

田中さんはどうな人ですか。
鈴木さんより田中さんのほんが背が高いです。

それぞれ、正しくは「どんな」、「ほうが」だが、このように書く学生が非常に多い。
一方は撥音が長音になり、もう一方は長音が撥音になっているが、どうやら彼らの耳にはこのように聞こえているらしい。
これは中国語の発音規則と何か関係があるのだろうか。
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# by nihongobaka | 2006-11-20 14:17 | ことば
「知りません」

動詞の「~ます」の形は未来の動作(例1)や習慣的な動作(例2)を表し、現在の状態を表すには「~ています」の形(例3)にしなければならない。

例1:わたしは明日学校へ行きます
例2:わたしは毎朝牛乳を飲みます
例3:鈴木さんは今本を読んでいます。(進行中の動作)
   田中さんはいすに座っています。(動作が完了した状態が続いている)

よって、「知ります」は未来の動作を表し、「知っています」は「知る」という動作が完了した状態が続いていることである。

通常「~ています」の否定形は「~ていません」だが(例4)、「知っています」だけは「知っていません」とはならず、「知りません」となる。

例4:「座っていますか」「いいえ、座っていません」

「~ます」は未来の動作を表すので、「知りません」は未来に「知る」という動作が行われないという意味になるはずだ。だが、実際には現在の状態を否定している。

これは一体なぜだろうか。学生には習慣的にこのように言うと指導しているが、今のところ、明確な答えは見つかっていない。
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# by nihongobaka | 2006-11-10 17:50 | ことば
「多い+名詞」

「多い」は外国人用の文法では「い形容詞」、国文法では「形容詞」である。
形容詞は名詞を修飾するとき、名詞の前に置かれる(例:「おししい料理」「大きい家」)。ところが、「多い」はそのまま名詞の前に置くことができない。

「公園に大きい木があります」(○)
「公園に多い木があります」(×)

名詞の前に置く場合は、
「公園に多くの木があります」としなければならない。
ただ、この言い方は少し堅いので、会話なら、
「公園に木がたくさんあります」と言うのが普通だろう。

「多い」の対義語の「少ない」もこのままの形で名詞を修飾することは少なく、
「公園に少ない木があります」はだめで、
「公園に少しの木があります」あるいは「公園に木が少しあります」としなければならない。だが、「少ない給料で何とかやっている」のように名詞の前に置いても違和感がない場合もある。

「多い」は形容詞なのになぜそのまま名詞を修飾できないのか理由はわからないが、学生には次のように教えている。

「多い」「少ない」はそのまま名詞の前には置かず、「多くの」「少しの」という形にしなければならないが、通常は「たくさん+動詞」「少し+動詞」のように副詞を使う。
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# by nihongobaka | 2006-11-08 16:34 | ことば
「7時にごはんを食べます」

動作の完了までにある程度の時間を要する動詞(見る、読む、働く、勉強する等)を継続動詞、動作開始から完了までにわずかな時間しか要しない動詞(起きる、座る、持つ、出る等)を瞬間動詞と言う。

通常、継続動詞は「時から」「時まで」という表現と共に使われ(例1)、瞬間動詞は「時に」という表現と共に使われる(例2)。
これは、助詞「から」「まで」はそれぞれ動作の起点と終点を表し、助詞「に」は動作が起きるある一点を表しているためである。

例1:9時から5時まで働きます。 8時から10時まで本を読みました。
例2:朝6時に起きます。 5時に会社を出ました。

上記例1と例2の助詞をそれぞれ入れ替えると非文となる。

ところが「食べる」は継続動詞であるにもかかわらず、最初にあげたような表現が可能だ。
むしろ、「7時からごはんを食べます」のほうが不自然に感じる。

では、似たような使い方をする「飲む」はどうだろうか。

「1時に薬を飲みました」

この文では「薬を飲む」が瞬間的な動作であるため、「に」でなければ不自然だが、

「今晩6時にビールを飲みます」
「今晩6時からビールを飲みます」

上記の文では「から」のほうが自然ではないだろうか。

すべての動詞を検証したわけではないが、どうも「食べる」だけが特別なように思う。
どうして文法的には誤りであるはずの文が自然な文なのか、わたしには説明できない。
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# by nihongobaka | 2006-11-07 18:03 | ことば